ニュースサイト、5年後10年後大手が大手として残っているとは限らない。這い上がるサイトを応援したい。

タイトルを修正。
言いたいことが伝わらないような気がしたので。

ニュースサイトに限らず、他のサイトもわかんないですよ、5年後10年後どうなっているかなんてわからない。
盛者必衰。おごれる人も久しからず」ってのも聞くし。


一ブロガーの視点にすぎないのですけどね、前々から思ってたこと書いてみるよ。


なんだかんだ言ってやっぱ大手はスゲーです。ここの他に3つ程ブログをやってるけど、アクセス数ってニュースサイトに記事取り上げられるだけで一気に跳ね上がるわけ。取り上げられる時はひとつのニュースサイトだけじゃなくて、いくつかのニュースサイトから取り上げられたりするわけじゃないですか。でもニュースサイトが送り出す数ってサイトによって歴然と差があるんですよ。


具体的にサイト名はあげないけど、4桁送ってくるニュースサイトもあれば、せいぜい1桁ってとこもある。へぇ、そこのニュースサイトはそれくらいのもんなのね、って判断材料にしてる。数字でそこのニュースサイトの集客力がわかる。数字は露骨で残酷。曖昧さがない。だから自分的には好き。リンク元の数字を見れば一目瞭然。どこがどれだけ力を持っているかわかる。弱小はつらいだろうね。たいした数送り出せないんだもん。ああ、所詮これくらいしか送り出せないのねってブロガー側は思うんだよ。取り上げてもらうってことは、そこのニュースサイトのポンプ力=クリックさせる力を見させてもらうのと同じなんだよね。

どれだけその記事をクリックさせられるか。
クリックさせるような記事を集められるか。*1

ブロガーは自分とこのアクセス数に敏感だからね、できれば大手に取り上げてもらいたいとか密かに思ってたりするんじゃね?どかーんとアクセス津波来たらアクセス解析見るのが楽しくてしょうがない?アクセス解析見るのチョー好き?
数字はシビアだよ。だからいい。数値でわかる世界はわかりやすい。勝ち負けもね。自分ははっきり言って負けず嫌い。負けると分かっていても勝負してみないと気がすまないタイプ。妥協とかランクを下げるとかものすごく嫌い。「闘って死ね」とか最高にカッコいい。漫画のキャッチだけどね。安穏とするのは老後、リタイアしてからでいい。若いうちにあれこれやりたいことやっておこうぜって思う。


大手ばっかり数字が集まるのは、しょうがないといえばしょうがない。だってそれだけのものがあるんだよ。人をひきつけるものがある。


人をひきつけるものってなんだと思う?


自分はコンテンツだと思う。


コンテンツがなかったらつまらないよ。薄っぺらいコンテンツに魅力は感じない。人もそうだろうね。底が浅い人間より幅が広くて深いやつ、何でも知ってるやつ、とりあえず今の流行に詳しいやつとか、変わり者っつーか、底知れないやつの方が面白いもん。次何やらかしてくれるんだろう系は人の目ひくよね。ある意味、猿回し劇場の猿に近いんだけど、まぁ注目は浴びるわな。おもろいことやらかして、それで有名になってくってのはネットではよくあるよくある。
で、有名になったとしてもさ、コンテンツがなかったらすぐに飽きられるんだ。芸人といっしょだね。同じネタばっかりされても飽きるし、disり系、人の悪口ばっか言ってるワイドショー系もすぐに飽きられるね。つーか、自分が大嫌いなだけ。他人をどうこう言ってそれネタにして注目浴びるやつが大嫌い。それっておまえのコンテンツじゃないじゃん。


コンテンツで言うならニュースサイトも他人のサイト、ブログがコンテンツだからね。色とりどりの他人の記事を並べて、さぁ見てくださいって、フリマしてるようなもんかな。ま、その色とりどりの他人の記事を楽しみに見にいくのが自分だったりニュースサイト読者だったりするんですけど。
ニュースサイトの場合、どれだけおもろいものを引っ張ってこれるか、人が知りたさそうな記事、話題の記事を持ってこれるかってことで、そういった記事を持ってこれるサイト管理人を評価する。
ニュースサイトは、いかにコンテンツ(他者のコンテンツ)を充実させられるかなんだと思うんだよ。さらに書き加えるなら、記事にニュースサイト管理人がコメントして、読んだ人がクリックしたくなるようなコメがあってもいいと思うね。多少先入観を持たせることになるかもしんないけど、取り上げたのは取り上げたそれなりのなんかがあったから取り上げたんだろ?どうでもいい記事だったらとりあげねーだろってことで。*2


ニュースサイトの新規参入は厳しいだろうなと思ってる。既得権益っつーか、市場拡大、アクセス増ってなかなか難しいんじゃないの?所詮、大手には敵わないよ。だとしてもそれでもニュースサイトをやっているのは、自分がニュースサイトをやってて面白いから?あるいは楽しいとか?もしくは惰性か?ニュースサイトをやってて楽しいか?続けているのはどうしてか?んなこたブロガーの自分が聞くもんでもないと思うけど、続けることで実績はできてくるよな。

続けること、これは最大にして難しく厳しいこと。

いや、2、3日更新さぼったっていいさ。また更新すればいい。それくらいのブランクなら客も逃げたりはしない。また見に来てくれるさ。
大手だってはじめから大手だったわけじゃないだろ?更新し続けてそれが結果として大手になったんだろ?


大手が取り上げた記事を取り上げるってことは、比べられるってこと。
ブロガー側からはどこのサイトがどれだけ運んできたかわかるからな。
そこで自分は各ニュースサイトのレベルを見させてもらってる。あー、今回もここはこんなもんなのかー、負け戦だなーって。負け戦ってかっこ悪いけど、自分的にはそれでもいいじゃんって思う。それがおまえんとこの実力なんだよ。這い上がっていく醍醐味はあると思う。


大手は大手としてすでに存在しているし、老舗は老舗として存在している。なかなかねそこに対抗しようとするとたいへんなわけで、でもさ、5年後10年後大手が大手として残っているとは限らないし、老舗にしてもそう。老舗百貨店も店舗閉鎖したり、名前が知られた店でも潰れていく時代だからね。どんな世界でも栄枯盛衰はあるわけ。ニュースサイト界隈の地図も少しずつ変わっていくだろうし、もしかしたらスゲーニュースサイトが新星のごとく現れるかもしんない。


更新実績とコンテンツがあってそこから読者はついてくるんだと思うよ。更新が止まったニュースサイトなんて誰も読みに来ないし、不定期すぎるニュースサイトも自分的には好きじゃないので読まない。意欲が感じられないし、別にそこまでして読みにいこうと思わない。
自分?自分も不定期すぎるって?自分は他のブログの更新で忙しいんだよ。ここはあくまでもサブ。サブのサブのサブくらいのブログ。気が向いたら書くくらいのもん。


大手は大手としてスゲーと思ってる。評価してる。ただ、大手がいつまで大手として君臨し続けるかわからないし、ま、そう簡単に潰れること、潰されることもないだろうけど、他のニュースサイトがめきめき台頭してくるかもしんないし、そこらへんは自分は流れを見守るだけ。自分はブロガーだし、今は自分の持ってる他のブログたちの更新でいっぱいいっぱい。



這い上がってくるサイトは応援したくなるね



そんじゃあな。

*1:ま、そんな自分のニュースサイトさえ見にきてもらえば、あとはクリック先に飛ぼうが飛ぶまいが関係ないっていうニュースサイターもいるかもしんないけど

*2:ま、コメするしないは管理人の自由なんだけどね

ニュースサイト?なにそれおいしいの?―ブロガーはニュースサイトの威を借る狐になるな。

ブロガーに言いたい。

ニュースサイトの威を借る狐になるな。

あるブログを読んでいて思った。
どうやらブログの記事をニュースサイトに取り上げられることは喜ばしいことらしい。
ニュースサイトに取り上げられれば○○○砲と言われるようにアクセス数は急激に増える。
はてなスターが押されたり、ブックマークされたりする。


記事がそれだけ多くの人に読んでもらえた、読んでもらえるような記事を書けたということで、喜ぶブロガーもいるだろう。

が、考えてほしい。

もしニュースサイトが取り上げなかったとしたら、その記事はそこまで読まれただろうか?

『ニュースサイトの威を借る狐』的なことになっていないだろうか。

ニュースサイトにあえて取り上げられないようなブログを書こう、書くようにしようしているブロガーを知っている。目立たないよう、無難な文章を書く。そのブロガーは女性でニュースサイトに記事を取り上げられたこともあるが、今ではニュースサイトに取り上げられて、多くの人の目に晒されるのが怖いと言う。ニュースサイトがとりあげた記事ということで、期待感を持ってクリックされるのが嫌だとそこまで言っている。書いた記事も読む人によってはつまらないかもしれない。読みにわざわざ来てもらってがっかりされるのが嫌だと彼女は言う。


ニュースサイトに取り上げられ、多数の目に晒されることで普段はつかないようなコメントがつき、そのコメントひとつひとつに神経をとがらせないといけない。これは正直、疲れる。粘着系のコメントがつく場合もある。その対応におわれ、精神的にまいってしまうブロガーもいるだろう。
普段から見に来るような内輪系の読者は甘い。読んでせいぜいはてなスターを押すくらいだ。コメントまでいちいちしない。むしろニュースサイト経由でたまたま訪れた者が思いもよらぬコメントを残すものだ。



またブロガーは

自分の実力を思いしれ

とも言いたい。


ニュースサイトにとりあげられたあとアクセス数はがくんと減る。
いや、元のアクセス数に戻るだけだ。が、要するにニュースサイト経由の一見さんが多かったのだと、所詮ニュースサイトの援護なしに自分の記事だけで人は集まらないと自分の実力を思いしることになる。


そこで負けん気を出すのなら、ニュースサイト経由なしに、アクセスされるような記事を書こうとなるのかもしれない。そういうブロガーもいるだろう。そういうブロガーはもっと増えてほしい。負けん気のあるブロガー、読者を惹きつけるような記事をがんがん書くブロガーが増えることを切に願う。


話がそれるが、Twitterに夢中でブログが放置状態、最後に更新した日付けすら思い出せないブロガーも多数存在しているだろう。ブログを書かなくなれば、確実に訪問者は減る。過去記事を検索等で見に来る場合もあるだろうが、更新していないブログはそのうち忘れさられる。ブロガー自身記事を書く感覚も鈍っていくだろう。そのうち記事を書くことすらめんどくさくなる。Twitterが隆盛するにつれ、従来のBlogは衰退していくのではないか。
Twitterユーザの増加に伴うBlog離れ。Twitterクライアントの充実、Twitter提携サイトの増加等に伴いライトな感覚で使えるTwitterユーザはこれからますます増えるであろうし、読み手としても、長文を読むのがめんどくさい系、ケータイユーザ系は短く手軽なファーストフード的Twitterで満足し、Blogをわざわざ読んでまわるということもなくなるのではないか。ましてやTwitterはタイムラインに勝手に流れてくる。それこそ何千とフォローし、フォローもリムーブも自由だ。TwitterはBlogとちがってRSSやアンテナ等で更新をいちいち確認しにいくような類のものでもない。
とにかく手軽に時事の話題に触れることができるファーストフード的Twitterの出現で従来のBlog読者が減っていくことを個人的に危惧している。ブログなんてもう古い、時代はTwitterだとそうなるかもしれないし、ならないかもしれない。これからどう変わっていくのか、楽しみではある。Twitter VS Blog の様相をこれからも見守っていきたい。が、Twitterに夢中でブログ放置気味のブロガーには「Twitterばかりやってて、後には何にも残らなかったとならないように」と言っておきたい。*1



話を戻して、ニュースサイトについて少し書いておく。
アクティブなブログはニュースサイト側も注目する。更新されているんだかどうだかわからないブログはニュースサイトもチェックしないであろう。*2また読み手に刺激を与えるような記事でないとニュースサイトで取り上げる意味はない。また、そういった読む価値があるだろうと思われる記事を見つけてこられるかどうかはニュースサイターの手腕にかかっている。有名ブログ、有名サイト、ホッテントリした記事を持ってくる程度であれば、誰にでもできる。誰もがすでにどこかで見ているような記事ばかり並べたところで読者は喜ぶだろうか?喜ばないだろう。いかに他のニュースサイトが扱っていない記事を持ってこれるか、自分のサイトならではの記事を探して持ってこれるか、ではないだろうか。アンテナは常に張り巡らせておくべきだし、その感度を鈍らせてはならない。*3



話が長くなってしまったので、このへんでまとめる。
コメントを恐れずに書けるブロガーはすごい。
自分のスタンスで、それを守りとおし屈しないその強さがブロガーには必要だろう。
ブロガーは、ネガティブなコメント、批判に負けないようなブロガーであってほしい。



ニュースサイトは確かに人を運んでくる。アクセス数は一時的に増える。
しかしそれで満足してはいけない。
ニュースサイトの威を借る狐になっていないか、本当の自分の実力を知っておくべきだろう。

ニュースサイト?なにそれおいしいの?

それくらいでいいと思う。

ブロガーよ、大志を抱け。
がんがん書いて実力をつけろ。

と、まぁそんなところだ。

*1:TwitterのログをまとめてBlog等に残しておくのなら話は別だが

*2:このブログ自体放置していたわけだが、今回の更新でどれくらいどのあたりからアクセスがあるか楽しみだったりする。もっともアクセス数自体は全く気にしない。

*3:記事にニュースサイトという言葉があるだけで俊敏に飛んでくるニュースサイターがいるが、それは大いに評価する。ニュースサイターにとって反射速度は重要な要素であり、観測範囲の広さもその能力を証明する要素のひとつであると言えるであろう

吐き出す場としてのブログの有用性

Twitterと呼ばれるミニブログサービスもそうであるが、個人の考えや感じたことを吐き出せる場所があるというのはよいことなのではないだろうか。


私はここに吐き出したい。
こういうことを考える人間もいるのだということを誰かに知ってもらいたいのかもしれない。つまりは承認要求によるものなのだと思う。


私は吐き出す。

「どうすれば自分を変えられるかそればかり考えている」と。

ここのところそのことばかり考えている。

自分を変えたい。ということは、つまり成長したいと言い換えることもできる。
これといって秀でたところがない自分だ。これなら負けない。これは得意だということがない。
これなら負けない。これは得意だというものが欲しかった。いや、今も欲しい。平凡で普通の人間というのが私にふさわしい言葉かもしれない。


真面目だけがとりえ。仕事も真面目にやってきた。しかし、今、立ち止まり、出てくるのは涙だ。
真面目にやってきた。しかしながら、何も残っていない。自分はこんなことをやってきたんだ、と言えるものがない。自分は一体今まで何をしてきたんだろうと、自分はどこか成長しただろうか。実際日常に流され、ルーチンワークに辟易して、たいしたことをしていない自分が今まさにここにいる。


ただ歳をとり「大きくなった子ども」の自分。学生時代見ていた黒板やホワイトボードがパソコン画面に変わっている、ただそれだけだ。


ただ、学生時代の黒板やホワイトボードとは違い、パソコンはこちらから画面を変えることができる。すなわち、ブログというツールを使って文章を発信することができる。ただ見つめるだけで終わらないのが学生時代の黒板とは違うところだ。



このツールを有効に使わない手はない。



今、これといって何かしたということが思い浮かばない。自分は何も残していない。いたずらに歳をとっているだけだ。そう思う自分の状況を自分に突きつける。文章にして突きつける。自虐的かもしれない。が、とにかく自分が今感じていることを吐き出し、残しておく。現状を把握しないまま前へ進むことはおそらく難しいからだ。自分がどこにいるのかわからないのに目的地にはたどりつけないことと同じだ。


今自分がどういう状況にあるのかをまずは把握すべきだ。



ただ、単に「自分はなにもできていない」「自分はダメダメ人間だ」と自己卑下するわけでも自己否定するわけでもない。むしろ、こうしてブログというツールで文章化し公開し、現状を刻み付け、もう一段階上へとのぼっていきたい。


誰かに読まれることは刺激になる。いつかは成長した自分をこの場で書くことができるかもしれない。あのときは、こんなダメダメ人間だったけれど、今はこういう風に成長した、と書ける日がくるかもしれない。いや、書きたい。


ダメダメ人間でも、それなりに幸せ。生きてるだけで幸せだ。と言い切ってしまう手もある。しかし、果たしてそれでいいのかと思う自分もいる。自分の場合、現状に満足してそれ以上進めなくなってしまうのではないかと。満足して先に進まなくなってしまうことを何よりも自分は恐れる。


自分は先に進みたい。
なにかを残したい。
これという誇れるものが何か欲しい。
目指すものへと近づきたい。
憧れを憧れのまま終わらせたくない。
そんな決意めいたものを持っている今の自分を忘れたくない。


こうして今感じていることをブログに吐き出したところで、かなり自分の頭がクリアになっていることに気づく。これはブログの有用性、ブログに書く効果というものではないだろうか。


もやもやとしたまま抱え込むよりも、すっきりと文章にすることを私は好む。誰かに読まれるかもしれないということで、真剣に考えながら文章にしている。できるだけわかりやすく文章化すること、これは自分にとっても有用だ。


ブログをいかに活用するかそれは個人の自由でもある。
私は「吐き出す場としてブログの有用性」をみた。そのことを言いたくてエントリした。

ブログがニュースサイトにとりあげられるメリット、それはブログの存在を他者に知ってもらえるということだ。


ブログがニュースサイトにとりあげられるメリットは、アクセス数が増えるということそれだけではない。なにより重要なのは、自分のブログの存在を他者に知ってもらえるということだ。


自分のブログの存在を知ってもらうこと、すべてはそこからはじまる。



ニュースサイターは各自さまざまな手法を用いて巡回し、良記事、面白い記事と思うものを見つけて紹介するわけだが、その労力、特に時間的な労力は半端なものではないと思う。そこに敬意を表したい。



ブログを書いていたとして、誰からもアクセスされないというものほどむなしいものはない。
人はやはり読んでもらいたいから書くのではないだろうか。
私も読んでもらいたいから書くのだ。(その一方でコメントされたくないという身勝手な一面もあるのだが、コメントするのは読み手の自由だとも考えている)



誰かに読んでもらいたい、そう思うことから、はてダであれば、セルクマし、新着エントリに連ねることもありだと考える。
どうせ読んでもらえないし、と放棄するのではなく、読んでほしいのなら読んでもらえるようアピールするべきだ。
多少の釣り的なタイトルも私はありだと思う。



トラックバックもどんどんすべきだ。
私はあなたの記事を読んでこう感じた。こういう風に思う。どんどん書いてトラックバックすればよい。
トラックバック先が大手であれば、それなりに反応はあるであろうし、とにかく自分のブログの存在アピールとして有効だ。


釣り的タイトルもありだ、ということを書いたが、ニュースサイトに取り上げられることを意識して書くことも全く悪いことではない。
完全に否定するわけではない。(ニュースサイトに取り上げられようと媚びた記事を継続的に書くようになるのが問題だと言いたい)


かりにめでたくニュースサイターの目にとまり記事が紹介されたとしよう。アクセス数は増える。
はてスタされたり、はてブされたりするかもしれない。


もし、はてスタ・はてブされたのなら、それは素直に喜んでいい。
ニュースサイト経由とはいえ、あなたの記事を読んであなたの記事にはてスタ・はてブされたのだから。


話がずれたので、元に戻す。
タイトルに書いたとおり、


ブログがニュースサイトにとりあげられるメリット、それはブログの存在を他者に知ってもらえるということだ。


もっと突き詰めていえば、

ニュースサイトという情報の宝庫、ファイルサーバの中に記事が仲間入りしたということ、
つまりブログの存在を知らしめるインデックスのひとつに入れてもらえたということ、
他者がリンクをクリックしブログの元へ飛ぶ可能性を得たことにほかならない。

(しかしながら、得たものはあくまでも「可能性」であり、取り上げられたからといって、どれくらい飛んでくるかそれは未知数である)


ニュースサイトにとりあげられ、アクセスが増える。
それはブログを書くモチベーションアップへつながるだろう。



が、できれば、ニュースサイトにとりあげられなくても、
とりあげられようととりあげられまいとモチベーションを持ち続け、
自力でアクセス数を稼ぐよう努力すべきだ。
アクセス数を増やすにはどうしたらよいか、その手の記事や情報、ノウハウは探せば見つかる。
全くなにもしないで、のんべんだらりと記事をうpするだけで、アクセス数が増えないと嘆くのはあまりにも怠惰だ。


別にアクセス数なんてどうでもいい、と思うのなら、それならそれでいい。それもブロガーの自由だ。


今回この記事をニュースサイトまなめはうすにとりあげていただいた。
おかげでアクセス数は増え、はてスタ・ブクマされた。
自分のブログの存在を他者に知ってもらうことができた。
ありがたいことだ。
私のスタンスは変わらない。
書きたいように書く。
たとえつたなくても、書きたいことがあるかぎり、書きたいように書く。
たいしたことなど書けない。
そもそも人をうならせる文章など素人が簡単に書けるはずがない。
たいした文章など書けなくてもいい。
とにかく書いて表明することに意味がある。そう思う。



ニュースサイターの方々には人々に知られていないがすばらしい、面白いという記事をぜひとも発掘してほしい。
そんな記事をニュースサイトの読者は楽しみにしているはずだ。かく言う私もそうだ。常連のブログやサイトだけではなく、未知の新規のサイト、ブログの紹介を心待ちにしている。
同様にニュースサイトに発見されることを心待ちにしているブロガーもいるにちがいない。
ぜひとも良記事を発見しどんどん紹介してほしい。
ニュースサイターの健闘を祈りたい。

お詫び及び補足説明

昨日の記事に関してお詫び及び補足説明をしたい。


まなめはうすのニュースで拙記事をとりあげていただいた。


そして、私が勘違いをしていることが判明した。

まなめ氏の発言は「育てられるな」ってのは「育てられちゃいけない」って意味だったことを今朝知った。


私はまなめ氏の発言を「ブロガーはニュースサイトに育てられるなぁ」という肯定の意味で受け取ってしまった。そこで昨日の記事をエントリしたわけだが、著しい勘違いをしていたことをこの場でお詫びしたい。


「育てられちゃいけない」という氏の考え方に私は同意する。


昨日の記事でも書いたように、ニュースサイトに取り上げてもらうことでアクセス数を稼ぐことは可能だが、ニュースサイトに取りあげてもらいたいがための記事を書いてほしくない。と、そのように私は考える。
つまり、まなめ氏が言っていることと同じことだ。


私はニュースサイトの存在価値を否定しているわけではない。むしろ、喜んでいくつものニュースサイトを拝見している。ニュースサイトは情報の宝庫。ファイルサーバみたいなものだとそのように思っている。どんどん利用してよいとそのように考えている。


ブログがニュースサイトに取り上げられることによるメリットももちろん認めている。
そのことについては別記事をエントリすることとしたい。

ブロガーはニュースサイトでスポイルされる。

ブロガーはニュースサイトに育てられる。とまなめ氏はTwitterでPostされているが、
私はこう思う。

ブロガーはニュースサイトで育てられるというのは疑問だ。

むしろスポイルされる。ダメになる。

スポイル【spoil】
[名](スル)損なうこと。台なしにすること。特に、甘やかして人の性質などをだめにすること(Yahoo!辞書より)


ニュースサイトで紹介されればアクセス数は急に増える。
増えるが、私は思う。

アクセス数が増えたからって喜んでんじゃねーよ。

それはオマエの記事の力じゃねーだろ、

ニュースサイトで紹介されたからだろ?

ニュースサイトの力だろ?


もっともニュースサイターの目にとまった時点で、それは紹介するに足りうる記事とみなされたと喜んでいいわけだが、手ばなしで喜ぶのはいかがなものか。

私はこう思う。

たまたまニュースサイターの好みの記事だっただけだ。


個人ニュースサイトは個人が管理運営しているだけに、記事の選択は、すべてニュースサイト管理人の一存である。

選ばれた記事は、社長一人しかいない会社で社長面接で選ばれるアルバイターみたいなものだ。

しかもそのアルバイトは一日限り。報酬はアクセス数。

が、このニュースサイト屋で次の日もアルバイトとして雇ってもらえるかはわからない。

たいてい雇ってもらえない。

何しろ他にもアルバイターであるブロガーは山ほどいるのだから。

次に雇ってもらえるかどうかは社長次第だ。




アクセス数うめえw」と

再びアクセス数が欲しくて、ブロガーであるアルバイターはアピールする。

つまりは社長好みの記事を書いてアピールするのだ。

選ばれたくて、雇ってほしくて。

滑稽だ。



こういう記事を書いたらニュースサイトはとりあげてくれるかもしれない。

そういう下心が芽生えだしたら、

もうそのブログは本来の自分らしいブログではなくなっている。



社長好みの、ニュースサイター好みの記事を書くブログに成り下がっている。

ニュースサイトの紹介によるアクセス増といううまい汁を吸ってしまったがゆえ、

ブログがダメになるわけだ。



自分は、過去別ブログであるニュースサイトでリンクを貼られ、一晩で数千のアクセスを喰らった。
喰らったと表現するのは、思いもよらないことだったからだ。



ニュースサイト経由で流れてくる読み手は、たいてい一見(いちげん)さんだ。

そして何度も訪れてはこない。

たまたまニュースサイトで見かけたから、クリックしただけのことだ。



ニュースサイトにとりあげてもらいたいと思っているブロガーには注意を促しておく。

ニュースサイトによるアクセスバブルは、必ずはじける。

バブル崩壊

一時的なアクセス増に喜ぶのはあなたの自由だが、

結局のところ、また元のアクセス数に戻るだけだ。

そこらへんわかっておくように

私は読み手に媚びるような文章は書きたくないし、

ニュースサイターに媚びるような文章も書きたくない。



ブロガーの立場から以下のことを言いたい
(素人ブロガーの立場と表現しておいた方が謙虚だろうか。逃げ道として便利だろうか)

ニュースサイトにとりあげられようとして記事を書くとダメになる。

うpする記事が本当に自分が書きたい記事なのかどうかを自問自答すべきだ。

ニュースサイター好みの記事など書かなくていい。

自分が書きたい記事を書けばいい。

ニュースサイト経由のアクセスなど喜ぶな。

自分の記事で勝負しろ。

自分の記事のみでアクセスをひっぱってきてナンボのものだ。

それが実力ってもんだ


一部をのぞき、数日中に自動消滅することで定評のあるまなめ氏のブクマに以下のようにコメントがあったが、
期待されても困る。とだけ書いておく。

もっとも数日中の当該ブクマ消滅とともに期待も消滅すると私は踏んでいる。

期待など裏切ってしまえ。

期待など裏切ってしまえ。
過激ではあるがそう思っている。


昨日早速コメントをいただいた。
昨日のエントリで書いたように、私はコメントされたくないと思っている。あれこれ言われたくないと思っている。
したがって昨日ブログ開設時にコメント欄を設けないことも考えた。
コメントをもらえば、褒めのコメントであるにしろ、批判のコメントであるにしろ、私に向けられた言葉として読む。
読めばなにかしら思うことがある。感じることがある。それが普通の人間の反応だろう。
コメントを読んだことによる影響がその後のブログの文章に皆無だとは言い切れない。


褒めのコメントは素直に喜び、また頑張って書こうと思うのが一般的だろう。
それもわかる。わからないわけではない。
が、褒めのコメントに期待のニュアンス「楽しみにしております!」という言葉が入ると、私は困惑する。


「はい、頑張ります。」と書くのはあまりにも簡単で、きれいごとすぎる。
そもそも想定どおりの受け答えなどつまらないとそのように考える人間だ、私は。
「楽しみにしております!」
「がんばります!」
陳腐すぎて笑える。
「がんばります」と言って、がんばるフリをするのはよくあるパターンだ。
とりあえず「がんばる」と言っておけば相手は納得するし、「がんばっているよ」と言えばそれで時間稼ぎは可能だ。
とにかく一応前向きであることを表明できる。便利な言葉だ。
前向きであることを非難するつもりはない。
が、期待に応えようと、よい文章を書こうと意気込むのはいかがなものか。



ぶっちゃけ書きたいように書かせてもらうと、
id:maname氏に捕捉されることは想定していた。
まなめ氏が管理運営されるニュースサイトまなめはうすではブログ論サイト論関係が紹介されている。そのことは私も知っている。
まなめ氏が巡回し、はてダで開設した拙ブログ(ぱらしゅーと)を発見してもおかしくはない。
まなめ氏の巡回能力から判断して拙ブログを発見することは、たやすいことのように思われる。
昨日の記事をエントリして誰かわからないがブクマされたことから、はてブ新着エントリに1userで上がったところを氏が発見したか、もしくはキーワードあたりで拙ブログがひっかかり、まなめ氏はアクセスされたのだと思う。(これはあくまでも私の類推であるが


話はそれるが、想定するということ、先の先を読むのが実は好きだ。
仮に、もしも、もしかしたらという想定をしたり、予想される事態を考えるのは、このうえなく楽しい。
そして、その想定、予想を見事に裏切られるのが好きだ。快感だ。
ミステリで思わぬどんでん返しを喰らったときの「してやられた感」が好きだ。
想定どおり予想どおりにコトが進んでしまうのは面白くない。
思わぬどんでん返し、想定外のことが起こるから面白い。
何が起こるかわからないから面白い。
勝負事もそうだし、人生何が吉とでるかわからない、だから面白い。

「楽しみにしております!」というのを「期待」という言葉に置き換えて、この記事を書かせていただく。実際期待などしていないのかもしれないが。


自分は期待されても書きたいことしか書かないし、第一、読み手に媚を売るような文章を書きたくない。
読み手が喜びそうな文章を想定して書くことはできるが、それは私が書きたい文章ではない。


読み手が期待するのは自由だが、それに書き手が応えられるとは限らない。
むしろ、応える必要はないように思う。
読み手が勝手に期待しているだけなのだから。
期待されても困る。


イチローですらヒットが出ないこともあるのだ。
プロで金をもらっているイチローでも打てないボールがあるのだ。


逃げの都合のいい言葉ではあるが、私は素人だ。プロではない。
ゆえに期待どおりの記事をエントリできるとは限らない。
むしろ期待を裏切る記事の方が多いかもしれない。空振り三振バッターアウトな記事の方が。


期待というと、私はいつもその危険性を危惧する。


期待すること、それは裏切られることにつながり、また期待されること、それはプレッシャーのはじまりだったりする。


よい記事を書こうと悩み、もがき、しかし、書けない、エントリできないと嘆くブロガーも多いだろう。


他者の目を意識するがゆえに苦しむ。
「なんだつまんねー記事」と思われることを恐れエントリできないブロガーもおそらくいるだろう。


そうして書けないままずるずると日にちが経って、というケースもあるにちがいない。


それを回避するには、期待を裏切ればいい。


期待に応えようとしなければいい。
期待してもご期待に沿えるような記事は書けませんよ、なに勝手に期待してるんですか、というスタンスで望めばいい。


とっとと期待を裏切ってしまえば、あとは楽になる。
なんだつまんねー記事。クソ記事だな、と思われても気にしないことだ。
所詮素人が書くブログだ。


開き直ってしまえばいい。開き直れば強くなれる。


ブログの文章がかっこつけた洗練された文章である必要はない。
理路整然とあるいは、小難しくインテリ風に書いたところで、読むのをやめる読み手が増えるだけだ。
自分が書ける文章を書けばいい。書いて公開すればいい。
下手に取り繕い、着飾る必要はない。ブログは文学ではない。暗喩の必要などない。
直球で行きたい。

ブログを続けたいのならば

読み手の期待に応える必要はない。

むしろ期待を裏切ってしまえ。

クソ記事をうpしてしまえ。

そうすれば楽になる。

期待なんかしてもムダだとわからせろ。

私は書きたいことを書くだけだと。

考えてもみろよ、期待に応えようとし、プレッシャーを感じ、あげく書けなくなってしまうなんてバカらしいだろ?